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2001年... BROKE UP & ORGANIZATION 10月 Ryoko(Lead Vo/Gu)のやっていたThug Murderが解散。(Thug Murder については下記参照) 12月 RyokoとBilly's SynapseでやっていたHideto(Lead Vo/Gu)とJoe(Ba/Cho) 、FOR SIGHTの宮脇君の紹介でYuki (Dr/Cho)と出会い、Last Targetは活動開始する。 2002年... 1st. US TOUR, JAPAN TOUR & POOR DAYS 1月 新宿JAMを皮切りに東京を含め、日本全国、 海外などにてライヴ、ツアーを開始。 同月に初音源となる7EPのレコーディングを行い、国内はRyokoを中心に運営する 自主レーベルLuck Records、海外はサンフランシスコのTKO Recordsからリリ−ス。 3月には自らブッキングした初めての全国ツアーを行う。また、TKO Recordsからのコンピ"Punch Drunk 4" にも参加する。 4月 初めてのUSツアー、前半はミネアポリスのSTREET PUNK BAND、A-Bomb Nation (ex. CODE 13)、後半はフィラデルフィアのTHE BOILSと共に回る。その他 The Casualties、Toxic Narcotic、NY REL-X、A GLOBAL THREAT、SHWILL ROTTENなどらと共演。 6月 サンフランシスコよりレーベルメイトであり友達のREDUCERS SFを招き、ジャパンツアーを行う。このツアーを皮切りに海外のバンドを自分達で招聘し、LAST TARGET含め日本のバンドとのbookingを開始する。 11月 東京のOi/Skinheadバンド、One For Allとの4曲入スプリットCD "Rock'n Roll Wisdom" をLuck Recordsよりリリースし、12月にはツア−を行う。 2003年... 2nd US TOUR & STOPPED THE BAND 1月 The Boilsとの10曲入スプリットCD "NOBILITY & NIHILISM"をアメリカのInterference Recordsよりアメリカリリース、ちなみに日本では手に入りにくいタイトルである。 3月 The Boilsを招き、共にツアーを回る。数多くのツアーやライヴで実力をつけていった4人ではあったが、このツアーを最後にHidetoが脱退する。 8月 都内、地方でのライヴをくり返し国内外問わず多数のバンドが参加した "SET YOU FREE at Club Citta" に前回のツアーも好評であったREDUCERS SFと共に参加する。 9月 2度目となるUSツアーを行う。東から始まりミッドウェスト、西、東へ戻った1ヶ月に渡るこのツアーではProtagonist、The Boils、The Flatliners、Adolf & Piss Artists、Tear It Up、Reducers SFなどといったバンドから、DropKick Murphys、Roger Miret & Disasters, Unseen などといった名高いバンドとも共にプレイする。帰国後、サンフランシスコよりThe Forgottenを招きジャパンツアーを行う。バンドとして活動の幅を広げ、実力をつけていった時期だったが、メンバー間Ryoko以外のメンバーが脱退することになり、バンド活動休止を余儀なくされる。JoeはOne For All、YukiはThe Vickersに加入し新たな活動を始める。 2004年... RESTART & 1st ALBUM "ONE SHOT, ONE KILL" 3月 一人残ったRyokoはツアー中怪我した足の入院と治療、リハビリをしつつ、バンドから少し離れる。何のためのバンドなのか、うまく回らないバンド活動に終止符を打つか迷う。その頃、古くからの友達であったTakeshi (元Fisher Man's) と軽いノリでスタジオに入り、新曲を作り始める。まもなくShimoji (現 Disgusteens)、Shinke (Fisher Man's) が加入、新生Last Targetが動き始める。Ryokoの強い信念のもと集まった4人は、すぐにアルバム作りと再結成ライブに向けての準備を開始。 6月までのタイトルの新録にプラス新曲を加えた13曲入フルアルバムを完成させる。 7月 レコーディング終了と同時に7月3日下北沢ERAにて見事にライブ復活。 (対バンはex:Thug Murder、ex:Last Targetのメンバー達のバンド、THE VICKERS, One For All etc) 10月 ファーストアルバムを発売し、11月にはレコ発ツアーを全国で展開。 2005年... 1st TAIWAN TOUR & 3rd US TOUR 3月 Shimoji (現 Disgusteens)にかわり新ベースにRyomaを向かえる。 7月 初の台湾ツアーを行う。FORMOZ FESTIVAL に出場して、初来日とは思えない盛り上がりを見せる。Gu.のShinke (現 Electric Summer) の脱退が決まり、Ryoko, Takeshi,Ryomaの3人での活動が始まる。 9月 ファーストアルバムのUS盤がBYO RECORDSからリリースする。 10月 3度目のUSツアーを行う。西海岸ツアーはCLIT 45, THE BRIEFS, DROPKICK MURPHYS, LOST CITY ANGELS,THE SPITSなどと共演。 11月 Bassとして新メンバーHayatoを迎え、新しいラインナップで活動開始する。 2006年... 2nd TAIWAN TOUR and 2nd ALBUM "IGNITE to UNITE" 2月 2度目の台湾ツアーを行う。台北のECA CONCERTに出演し、台湾での実力を発揮する。 3月 レコーディングに入り、セカンドアルバム "IGNITE to UNITE"(イグナイト トゥ ユナイト)を完成させる。よりポップに、よりシングアロングに仕上がったこのアルバムはLAST TARGETの今後を期待される。 4月 自主イベントを東名阪で行う。"NEVER ALONE" とタイトルを討ち、下北沢シェルター、名古屋サンセットストリップ、大阪ファンダンゴの3デイズを大成功におさめる。 6月 セカンドアルバム、"IGNITE to UNITE" がOCTET RECORDSより全国リリースする。 8月 2nd リリースツアーにてTakeshi (Dr.) の脱退する、その後Yurie (元Thug Murder)が一時期加入するが結婚・出産のため脱退する。 12月 BYO RecordsからYouth Brigade, The Briefsを招聘し、3バンドでジャパンツアーで決行、Ryokoの海外からのバンドのツアーブッキングでの活動を約4年ぶりに復活させる。 2007年...SINGLE " BACK TO THE STREET" , 3rd ALBUM "TOKYO SHAKEDOWN" & LONG JAPAN YOUR 4月 3曲入りCDシングル"BACK TO THE STREET" をBOOT STOMP Rec.より1000枚限定、タワレコ・会場のみでの限定販売CDシングルをリリース。2曲のオリジナル曲と尾崎 豊の"SEVEN TEEN'S MAP"のカバーを収録。 6月 スウェーデンよりBOMBSHELL ROCKSを招聘し、ジャパンツアー決行。このツアーより、ヘルプでドラムを叩いていたTakato (ex. No Evacuations) の正式加入が決定する。 また、Ryokoはツアーブッキング、プロモーターとしての活動を本格的に始動、"Snake Eyes Booking"と名乗り、海外の有名無名問わず、ツアーのブッキングに勤しむ。 8月 Ryokoの故郷である静岡県磐田市で、東京にて活動する磐田出身のバンドを集結させ "IWATA NITE"と題し、Ryokoが10代の時よく通っていた磐田FM STAGEにて2デイズのイベントを決行。この日、主催、出演の他に、LAST TARGET夜店を開き、Gu.のRyomaが奮闘する。 10月 Ryokoの古くからの友人であり、常に信頼を置いていたサウンドガイ、AndrewをRECエンジニアに迎え、また彼のレーベルであるTIGHT RECORDSに移籍、3rd アルバム "TOKYO SHAKEDOWN" をリリース。音作りから、ヴォーカルラインまで、全てを見つめ直すきっかけとなったアルバムとなる。 12月 下北沢SHELTERにて初のワンマンを皮切りに、国内全国ツアー33本を敢行、動員が0人に等しいような状態での日もあり、自分達の無力さを知る。過酷なスケジュールと、人知れない状態でのライヴの日々に、精神的にかなり鍛えられたツアーとなった。このツアーよりメンバー間の絆も深まり、新たな目標が明白となった。 2008年... 1st KOREAN TOUR, 3rd TAIWAN TOUR & SINGLE "紅の志士” 1月 スウェーデンよりTICKING BOMBSを招聘し、ジャパンツアーを決行。最終日には、PUNKに国境は存在しないという意を込めて、 "NO BORDERS NITE" と題し、TIGHT RECORDSとSNAKE EYES BOOKINGの合同イベントを川崎CLUB CITTA'にて決行。国内で目敏い活動をするバンドと海外からはRyokoの友達である、TICKING BOMBS (from : Sweden) 、BROKEN BOTTLES (from: Orange County, USA) の2バンドを招聘し、Ryokoは主催、出演、来日バンドのケアマンとして動き、成功を収める。 4月 Ryokoのソロ活動開始。完全に気まぐれな活動、アコギと歌で渋谷HOMEにて初ライヴを行う。SET YOU FREEの企画するツアーに参加。PIZZA OF DEATHのUPPERとショートツアーを回る。 6月 初期に共にUS ツアーを廻ったメロディックハードコアバンド、PROTAGONIST (from: Florida, USA) のジャパンツアーを招聘し、カップリングツアーを行う。有名無名を問わず、海外のバンドの招聘し、自らアクトをこなし、Ryokoのインターナショナルに置かれた視点はぶれる事なく定着していった。またRyokoのみならず、メンバーであるRyoma, Hayato, Takatoの成長も遂げる事が出来、今までで一番よい状態であり、且つ最強のメンバーと自負する。 7月 3度目の台湾ツアーを決行。演奏に対し、ステージに対し、ストイックになりつつあるバンドの状態の中、個々の意見をぶつけ合い、バンドの向上に余念をなくする。 8月 川崎CLUB CITTA'にて毎年行われる SET YOU FREEの夏の恒例イベント "SUMMER FESTA" に参加。新たなオーディエンスへのアプローチを計る。 10月 初の韓国ツアーをTHE DiSCLAPTiESと共に廻る。スウェーデンより2度目の来日となるBOMBSHELL ROCKSのジャパンツアーを招聘、サポート。また同時期に、3曲入りニューシングル "紅の志士”(SNAKE EYES BOOKING : 自主制作)を会場限定500枚販売する。 About " Thug Murder " ... 1999年末にRyoko (Lead Vo & Gu / 現: LAST TARGET) 、Chisato (bass & Cho / ex. THE VICKERS)、Yurie (Dr / Cho) の3人により結成。結成後、もの凄い勢いでDIYスタイルで活動を遂げ、Dropkick Murphysの リーダー、Ken Caseyに見初められ、Dropkick Murphys、Lars Frederiksen & The Bastartds, Reach The sky, Swingin'UttersらとUSツアー、ヨーロッパツーを敢行させる。 このツアーでRyokoは、Ken Casey (Dropkick Murphys) , Lars (RANCID) , Mark ( TKO Rec.)など、多くのアメリカを代表するストリートパンクに君臨する方々と貴重な時間を過ごし、多くのミュージシャンシップを学び得る。 WARPED TOURへの参加、次のUSツアーや、日本でのROAD RUNNER Rec.から熱いオファーを頂いていたにも関わらず、メンバー間の揉め事が耐えなく、解散を余儀なくされる。2年に満たない活動で彼女たちが行った活動はその後の日本のSTREET PUNKシーンに多大な影響を与えたとされている。 伝説のガールズパンクバンドだと今現在では言われているが、当時は本人達は全くその意識がなく、活動をしていた。 |